あおもりの在野政策研究者のオピニオン
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
自由訳 イマジン
自由訳 イマジン (JUGEMレビュー »)
ジョン レノン,オノ ヨーコ
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
地球46億年全史
地球46億年全史 (JUGEMレビュー »)
リチャード・フォーティ
RECOMMEND
生命40億年全史
生命40億年全史 (JUGEMレビュー »)
リチャード フォーティ
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SPONSORED LINKS
Profile
Search this site.
MOBILE
qrcode
Others
<< 成長戦略を論ず−2.政権交代は、マクロ運営転換への勝負手 | main | 成長戦略を論ず−3(番外編)選挙結果は、マクロ政策の責任を問う声だ。 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark | このページのトップへ
最高裁を審査する。

人権を守るためのもう一票

政権を選択する衆議院の総選挙は、小選挙区と比例区の2票制だが、私たちには実はもう1票がある。最高裁判事の国民審査だ。国民に任免を委ねるという理念はいいが、できの悪い制度である。無印は信任扱いになるから、じっくり考えてバツをつけてもほとんど確実に「死に票」になってしまう。それでも、とくに人権を守るために、この1票にこだわりたい。

第一に、最高裁の仕事は、私たちの暮らしにとって影響が大きいからだ。最高裁判決は「判例法」になる。また、最高裁がこれまで「違憲立法審査権」を積極的に活用していれば、一票の格差も、生活権を損なう社会保障・医療制度の改悪にもかなりブレーキがかかったはずだが、もの言わぬ司法に流されてきた。

人事権が司法官僚にあるため、判決に判事の個性が反映せず、検察と裁判所の実務協議で内容が固まってしまうのだと、最高裁の判事OB自身が回想している。そのために起訴されたうち99%も有罪になったり、人権裁判の門前払いが続いてきたのだろう。

第二に、とくに今回審査対象の判事の経歴や判断には疑問がある。国民審査は任命後直近の衆院選のときだから、今回は、15人の判事のうち前回の「郵政選挙」の後で次々交代した小泉、安倍、福田、麻生の各政権が任命した9人が対象である。この間の内閣の任命にはまま首を傾げることが多かったのだが、報道は通り一遍だった。

第三に、そのため今回は、人権に関わって異議申し立ての必要なケースが少なくないと思う。

例えば、私は小泉政権のイラク戦争支持は外交として誤りだったし、自衛隊派遣は憲法違反だったと思うが、そのときの外務省の責任者(事務次官)であったのが竹内行夫判事だ。イラクでNPOの人たちが身柄拘束されたとき、安否不明で救出第一の段階なのに「自己責任だ」と被害者を批判し、バッシングを引き起こした当事者である。彼が麻生首相の手で最高裁判事に滑り込んだことには、率直に言ってあきれている。

関連で、かつての戦争を人権の問題としてどう再確認するか、それをメディアが的確に提供できるかということも私たちに問われているのだが、NHKの従軍慰安婦報道を改編したことに対する損害賠償請求事件について、原審判決は破棄されて原告らは逆転敗訴してしまった。逆転させたのは涌井紀夫判事である。

また、最高裁判事を経ないでまっすぐ長官になったのが竹崎博允判事だ。彼は裁判官出身とは言っても、最高裁経理局長、最高裁事務総長、名古屋高裁長官、東京高裁長官という経歴が示す通り、典型的な司法官僚であり、裁判員制度を推進するために最高裁長官に抜擢されたのだ。

私自身は裁判員制度の導入に強く反対ではないのだが、証拠の全面開示や取調べの可視化、さらには被告のプライバシー部分以外について秘密保持義務を解除することなどが導入条件であるべきだったと思っている。そうでなければ、証拠の的確さや裁判員判断の検証ができないまま、厳罰主義の社会風潮に流された裁判員の判断が庶民意志を代表するものとして正当化され、人権が軽視されてしまうことになる。この国の国民は表現が穏やかで慎重そうだから一見そうは見えないだろうが、それでは一種の社会的リンチになる危険性が高い(いまでも裁判、判決における人権軽視の事例は非常に多いのだが、その矛先を国民に転嫁することはおかしい)。こうした欠陥の克服を行わないままで、裁判員制度の導入を推進したことには賛同できない。

さらに、私は、自分の人生経験からえん罪事件にはそれなりに敏感なのだが、今回の判事たちが関わった比較的大きな「えん罪」事件が二つある。その一つが、テレビ朝日系列がここ数年継続的に追いかけてきた「御殿場事件」である。この6月には「ドキュメンタリ宣言」で「それでも僕らはやってない―親と子の闘い3000日」が放送された。

これは、高校生たちの集団暴行(があったとされる)事件だが、犯行日が途中で変わったり、台風接近中に犯行場所の公園付近だけ雨が降らなかったなど、こじつけばかりでねつ造の疑いが濃い。だが、主犯格とされた少年はすでに収監されてしまった。その上告を裁判長として棄却した桜井龍子判事がいる。涌井紀夫、宮川光冶、金築誠志の各判事もこの判決に加わっていた。判決は組織的に(検察と裁判所事務方の「談合」によって)既に決まっていたのかも知れないし、三審制がそもそも機能していないという面があるのは事実だが、それでも最高裁各判事の責任は免れないと思うし、私たちは忘れるべきではない。

こうした事例を見ていくと、判事一人一人の判断の問題ではなく、そうした判事が次々に任命されてしまうこと、人権に関わる判断なのに、判事が事なかれで事務処理のように判決を下しているという構造的な問題であることがよく分かる。そして、せっかく市民が努力して裁判に訴えても、司法が「御用判決」ばかりだすために、この国では、人権を守る市民運動がなかなか根づかないのではないかとさえ思えてくる。人権を守るための私たちのささやかな一票が、総選挙後の新政権で少しでも考慮され、判事の任命が透明になることを祈って投票所に向かいたいと思う。

なお、任命の透明性を確保するには、象徴的な制度にすぎない現在の国民審査より、日銀総裁やアメリカの連邦最高裁判所判事の任命のように、国会同意が必要な案件にする方が、本当は実効性があると思う。判事の判決経歴も明るみに出るし、国民の司法理解も進むだろう。しかし、内閣の任命権も、国民審査も憲法に規定されていることなので、その改正は容易ではない。それに、憲法改正自体が別な焦点問題と大きく関わってくるので、この件だけを見てそれを安直に主張することもためらわれる。

   陸奥新報2009.08/30(日)「時事随想」に掲載

(審査対象の判事氏名や個別評価の多くを外し、論旨を簡略化・穏便化)

 
| C.政治・政策形成一般 | 09:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | このページのトップへ
スポンサーサイト
| - | 09:36 | - | - | pookmark | このページのトップへ
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック