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「ひもつき」から「一括」へ

政権交代と市長選

政権交代の熱波もさめないうちに、県内では八戸の市長選が10/24に近づいている。来年春4月の弘前市長選の行方も、葛西副市長の辞職と立候補表明で一気にきな臭くなってきた。再来年には知事選も控えている。民主党が対抗馬をたてることは確実だろう。

私は、これから続く自治体選挙では、今回の政権交代の意味をどう受け止めるか、それが、隠れた大きな争点だと思う。陳情の持って行き先をどうするか、といった下世話な話ではない。民主党を中心とした新政権が、総選挙のマニフェストで掲げた「地域主権」に向かって、制度改革を着々と準備しているからだ。

(なかなか予定通りのブログ執筆ができない。今回は、「市民とマニフェスト:あおもり研究ラウンジ」次回10/07(金)の定例会に向け簡単な整理をしたので、これを先に掲載した。次回定例会は、「新政権の『地域主権』政策と八戸・弘前の市長選」をテーマに議論の予定だ。関心のある皆さん、どうぞご参加ください。)


前原国交相が主導している、「八ッ場ダム」をはじめとした公共事業の枠組み変化は、もちろん自治体財政に大きな影響がある。だが、それ以上に(目立たないが)大きく影響するのは、原口総務相が担当している分権改革だろう。なかでも、省庁縦割りの「ひもつき補助金」が廃止され、自治体が使い道を決める「一括交付金」になることである。これは、再来年2011年から実施される予定になっている。

また、それに先だって、来年2010年には「新分権一括法」が上程され、問題なく成立するだろう。ここで、「都道府県から市町村への権限委譲」のなかみが決まり、自治体の仕事を国が法令で細かくしばる「義務づけ・枠付け」も廃止・縮小される。これは、分権改革推進委員会から数次にわたって勧告が出ていたのに、自公政権が先送りを繰り返し、これまで実行されてこなかったものだ。だが、新政権は過去の勧告を尊重して、実施を決めるだろう。

自公政権下に設置された分権委だから、おそらく解散されることになるが、これまでの勧告の要点は実現されることになる。民主党は総選挙の前から、ことさらに特別の分権政策を準備するのではなく、分権委の勧告を評価しており、「義務づけ・枠付け」の廃止など基礎自治体への裁量権の移行を実行に移すことがスタートだと公言していた。

しかし、こうした変化の意味や影響の大きさは、地方に活動舞台をおく政治家にも、自治体関係者にも、十分理解されていないように見える。もちろん、私たち有権者レベルでは、ほとんど理解が進んでいない。しかし、この改革は、地方政治のありようを否応なく変え、私たちの地域産業と生活を変えることになると思う。気づかなければ、そして対応が自覚的でなければ、その地域の将来はかなり暗いのではないか

裁量権の基礎自治体への移行で何が変わるのか。一言で言えば、もう陳情政治は通用しないということだ。陳情行動には意味が無くなる。これからは、地域条件に沿って比較的公平・公正に、資金が「一括」で配分されることになる。そのかわり、自治体、そして地方政治には、その財源の使い方を自前で決める能力が必要になる。つまり、地域は、自分たちで未来を描かなければならない。これは、中途半端だった「小泉改革」をはるかに超える、考えようによっては究極の(自治体)自己責任改革である。

こうしたときに、政策立案や予算の決定を、相変わらず市長や行政にお任せ、としていてよいだろうか。これまでならそれでかまわなかった。乱暴に言えば、トップがだれでも大差なかったからだ。省庁別の縦割り補助金の時代には、自治体裁量で予算の思い切った重点配分をすることは難しかった。せいぜい、補助金ありきで目玉政策を一つ、二つ準備することができるだけだった。だが、これからはそうではない。財源を医療にあてるか、道路にするか、それとも教育か、私たちの選択、トップの選択で地域の将来がはるかに大きく動く。

市長や議員の候補者は、この政策環境の変化にどう答えるのか、それを市民にマニフェストで示す責任があるだろう。縦割り補助金の時代には、そのなかで、どの個別政策の事業をターゲットにするか、その決意表明をするくらいがせいぜいだった。だが、自治体裁量の時代には、個別の政策やその目標数値よりも(不要になる訳ではないが)、むしろ、予算の重点配分の方針、それを実現していくための、市民や議会との協働の仕組みづくりの方が、まず、たいせつになる。

つまり、政権が交代し、国と地方の関係が基本的に変化していくことになれば、ローカル・マニフェストに求められるものも変わるのだ。これまでの「ローカル・マニフェスト」に関する議論の多くも、実は、長期自公政権下の意思決定、予算決定の枠組みに深く影響されていた、時代の制約の下にあった、ということである。

これからは、行政組織の惰性のままに、いままでの歳出配分を踏襲したり(おおいにありそうなことだ)、トップの思いつきでハコもの整備に走ること(これも、十分ありそうなことだ)は許されない。市民の監視の目がなければ、そうなってしまう危険性は、これまで以上に高い(霞ヶ関のコントロールも、歯止めも利かないからだ)

市民のために、ほんとうに必要な予算や事業計画を編成できるかどうか。市政トップが、市民や議会とともに、コンセンサス形成を図りながら重点政策を絞り込み、重点配分の変更を計画・立案することが必要になるのだが、それができるか。

自治体選挙の際には、そうした市政運営の新しい仕組みづくりを、いったいだれができるのか、また、そうした仕組みづくりの提案が、マニフェストに含まれているかどうか、そこに市民の選択の目が向くべきだと思う。候補者が(そして地域の有権者が)、地方自治を取り巻く政策環境の大きな変化に気づいいなければ、いままでと同じように、事業列挙型のマニフェストが出回ることだろう。

これからは、自分たちのまちの状況を、市長や市議の資質、能力のせいにしてすませてはいられない。「地域主権」への改革は、市民の選択眼を問う厳しい改革でもある。

簡略化して、陸奥新報2009.10/04(日)「時事随想」に掲載

| A1.選挙系 | 03:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | このページのトップへ
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