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白旗を掲げてはならない
小沢一郎氏の進退議論がかまびすしい。政権交替を実現するため、速やかに自発的退陣を決断すべきだという議論が優勢のようだ。だが、私には異論がある。
第一に、いま退陣を表明することは、政権交替のために効果的なタイミングではない。第二に、反論の機会を失って悪事の政治家という印象を固定させることになる。第三に、何より、自分の人生を否定されたくないと足掻く権利が彼にはある。
相手の土俵で闘うな

第一に、いずれ退陣を余儀なくされるだろうが、秘書の起訴時点で退陣するのは、政権交代実現のために得策とは言えない。即刻辞任するのでは、政権中枢と検察上層部が期待し想定した(そして、メディアがその期待通りの役割を果たして、いっせいに求めている)プランとスケジュールに従わされ、その土俵で闘わされることになる。
そうではなく、支持率がさらに動いて麻生政権が解散準備を始め、自民党、公明党の動きが進んでもはや引き返せなくなったときに、党首交替に踏み切るべきである。そのとき、政権与党には首相交替のカードはもはやなく、民主党には党首交替のカードが残っている。後退を余儀なくされている局面だからといって、潔く(=無思慮・無謀に)玉砕する必要は何もない。

反論の機会を手放すな

そのこととつながるが、第二に、秘書の起訴の時点で政治的判断を優先して辞めれば、国民には有罪感覚で記憶される。すぐ政治判断をするべきだという議論は、この点を軽視している。
検察のメディア誘導が優勢な状況を変えることは確かに無理だろうが、それでも、これは形式犯であり、逮捕も起訴もおかしいという反論の立場に踏みとどまる必要がある。退陣表明の前に、異論があることをできるだけ主張しておかなければならない。退陣表明をしてしまえば、それを主張する機会はもう巡ってこない(裁判で争っても、それは、政治的には負けてから闘うことでしかない)。

自分の人生を否定させるな

第三に、国民に有罪感覚で記憶されるということは、自分の人生を否定されることである。政治家の人生として、という以上に、一人の社会人として、それが堪え難いという思いは自分の経験としてよく理解できるし、尊重されるべきだと思う。私は尊重する。
自分の人生を否定させない、という思いにたって行動を選択することは、何ら恥ずべきことではない。仮に国民の7割以上がその思いを理解してくれなくとも、だからギブアップしなくてはならないということにはならない。それが小沢一郎氏であろうとだれであろうと、そんなことを強制される社会であってはならない。

勝手な法解釈の変更を追認するな

今回の小沢一郎氏の第一秘書の事件は、形式犯であり本来不起訴相当である。その逮捕と起訴は、これまでの判例や法解釈、身柄拘束や起訴不起訴の判断基準を覆すものである。
そもそも裏金を暴く事件ではなく、表の金の真の出し手の認識を争う事件、隠すべき証拠が存在しない事件である。それなのに、身柄を拘束すること自体が間違っている。
政治団体登録されている団体は、活動実績の有無に関係なく、形式上「実体のある団体」である。その元資金を誰が準備したかは法の上では関係ない。そのことが日本の民主主義にとって問題であるなら(もちろん問題である。しかし、それはいま突然問題になったのではない)、法を変えるべきである。
つまり、立法府の問題であり、有権者の問題である。法解釈を検察が勝手に変更するべきではない。ざる法をもっとも効果的に使ったからといって、ねらい打ちの一罰百戒を食らって当然だと思うのは間違っている。
メディアは、報道の自由が、何に対抗するためのものであったのか、歴史をもう一度振り返るべきである。警察・検察の勝手な法解釈の変更を追認してはならない。

ふるさとを失った事件のこと

20年ほど前、私は北海道庁の汚職事件で、当初収賄側の共謀共同正犯だとして逮捕されたことがある。結局、警察・検察が関与の事実を積み上げられなかったので無罪放免となった。
逮捕して孤立させ閉じ込めて、記憶を確かめる手段を奪い、存在しない事実を言葉で積み上げるのは恐ろしい話だが、警察・検察にはそれができる(だからこそ多くのえん罪事件が起きている)。
また、できると思ったからこそ逮捕させたのだ。私の場合はたまたまできなかっただけである。道警が逮捕しない方針でいたということを、私は直前に確かめていた。それを若い検察官が俺に任せろとひっくり返したのである。権力の自己抑制を忘れた彼の自信のために、私はふるさとを失った。
北海道のある民放TVのニュースが私の釈放を報じたとき、担当の報道記者が「共謀共同正犯の構図は崩れた。組織的密議と言っていたのはどうなったのか」と口走り、その後番組に出てこなくなった。

犯罪を構成しない事件でも有罪になる

しかし、主犯とされた私の同僚は結局、単独の収賄者として有罪にされた。逮捕中、応援連絡をくれた私の友人の弁護士たち(後に静岡県や山口県の弁護士会長になった)は、私の関与いかんには関係なく、そもそもこの事件は犯罪を構成しない、完全に判例違反である、と言っていた。私も釈放後改めて調べてそれを確認した。いまでも判例違反のおかしな逮捕、起訴であり、また、つくられた判決であったと確信している。

その事件での検察の立論は、取締役でも出資者でもない社外の第三者(役人)が、事実上ある会社の支配者であると認定することができ、その会社への発注をその第三者(役人)へのリベートであるとみなしてよい、というものだった。
この契約社会では、いくらその会社への影響力があるという印象事実を積み重ねても、そんなことを認定することはできない。そういうごく当たり前の判例が積み上がっていた。
だが、検察はそれを強引にねじ曲げる方針を選択した。自白を引き出す(強要する)ことができるという予断がなければ、そして、メディア(すなわち世論)を十分に誘導できるという自信がなければ、そんな恣意的で無謀な方針は取れなかったはずである(今回の検察の判断の仕方とほとんど同じ体質である)。
そして、おおむねそのシナリオ通りになった。贈賄側として逮捕されたすべての民間企業の幹部たちが、執行猶予付きの有罪を甘受して社会に戻ることを選択し、争うことを止めてしまったのだ(証明はできないが、裏取引的な交渉があったとしか考えられない足並みの揃い方であった)。贈賄側すべての有罪確定によって事件が事実に化けてしまい、私の同僚は争うチャンスを失った。彼とはその後連絡が取れない。

社会的有罪を拒否する権利がある

私は無罪放免になったが、それでも世間の人々にとって、事件への関与は、釈放の事実によってではなく、逮捕のときの白抜き大見出しの新聞一面記事によって、記憶のなかに確定してしまう。贈賄側とされた企業人の争わない姿勢、同僚の有罪確定も、その記憶を強めた。事件は人々の記憶のなかで犯罪として揺るぎなく収まった。社会的有罪は覆らないのだ。北海道に残った私の肉親や親戚の心理的苦痛は大きかったに違いない。
今回も、起訴の時点で小沢一郎氏が党首を辞任すれば、それは事実上の犯罪関与として国民に永く記憶されることになっただろう。政治家小沢一郎氏がそれだけは嫌だと思ったとしても当然である。
やがて辞任が不可避だと小沢一郎氏は理解しているだろうと思う。だが、秘書の起訴当日の辞任だけは避けようと彼が考えたとしても、不思議だとはまったく思わない。間違っているとも思わない。社会的有罪を拒否する権利が彼にはある。
「政治的判断をするべきだ。すぐ党首辞任をするべきだった」と言っている人たちは、この国で警察・検察の組織力の前に裸で立たされた経験を持ったことのない、幸運な人たちである。

犯していない犯罪を自白するな

それ以来20年が経つが、私は北海道関係の仕事を手がける気にはならない。警察・検察の公平性とか、合理的判断ということにも、常に疑いを留保してきた。
たまたま、釈放後青森県で仕事を再開して間もなく、TVでニュース解説を受け持っていたとき、津軽半島の某自治体で首長汚職事件の逮捕劇があった。簡単に調べるだけで根拠薄弱であることが分かったので、私は、「これは勇み足の可能性がある」と番組で発言した。開局したばかり、若ものたちばかりのテレビ局スタッフにも「犯人扱いの姿勢で報道してはならない」と助言した。
実際、その数日後に首長は釈放された。「逮捕に踏み切る理由はあった」と強弁する県警の釈明会見があった。首長の仕事を続ける上で、地元警察とけんかを続けるわけにもいかなかったに違いない。憤懣やるかたないものがあっただろうが、その首長は大人の対応をしたようであった。

だが、今回、小沢一郎氏の秘書は、検察による法解釈の恣意的な変更によって、起訴されることになった。津軽半島の首長や私自身のケースとは違い、釈放されることはなかった。
小沢一郎氏も、付和雷同の国民視線のなかでは、彼の秘書とともに逮捕・拘留されているのと同じである。その立場で即時辞任することは、犯していない犯罪を自白するのと同じ効果を持つ。大人の応対を求められてもできるような立場ではないのだ。

政権交代のハードルが上がった。

「党首を辞め、裁判は裁判として闘え、民主党を巻き込むな」という議論をする政治家がいる。彼(彼女)は間違った問題のつかまえ方をしている。悪法も法なり、法を変えるのは自分たちの責任である、という立場で立法府の人間が臨むのか、それとも、悪法は検察が解釈を変えていい、それと闘うのは当事者だけでいいと考えるのか、ということなのだ。
問われているのは、小沢一郎氏個人の資金づくりの問題のように見えて、そうではない。民主党だけの問題でさえない。三権分立が実は有名無実であるという真実が噴出しているのだ。政権中枢と検察上層部は、そこまで踏み込んできた。立法府(国民の代表)の見識が問われている。そして、国民(世論)の民主主義理解が問われている。

こうした状況が意図的につくられたなかで、それでも、民主党は政権交代を果たせるのか。いまやハードルが一段大きく引き上げられた。小沢一郎氏の党首辞任によっても、もとのようにハードルが下がることはないだろう。民主党が世論に迎合して乗り越えようとしても、必ずや、二の矢三の矢が飛んでくるに違いない。
少なくとも、小沢一郎氏は、党首の立場、影響力のあるいまの立場をフルに活かして、できるだけ粘って闘うべきである。また、政治的逆転勝利にもっとも近いと判断できたときに、退陣のカードを切る権利がある。そして、それがたとえ勝てない戦いであっても、白旗を掲げてはならない。それは自分の人生を否定することであるからだ。

(今日、03/27(金)には、マニフェストラウンジ定例会があり、七戸町、東北町の町長選挙を間近に控えて、その政策課題と候補者陣営の公開討論会要請への対応について報告があった。また、政権交替が近いこの時期に勃発した西松建設事件の政治的意味、小沢民主党党首の辞任の是非について議論を交わした。
この論考は、その後半の議論に触発され、自分の人生を重ね合わせて私見を明らかにしたものである。)
| C.政治・政策形成一般 | 00:57 | comments(1) | trackbacks(1) | pookmark | このページのトップへ
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記事を読んで感想。

小沢氏逮捕は、単に一時的な国政操作ではすまされない。日本の刑事訴訟において、有罪判決は99.9%と高率であり、このことから、公設秘書は有罪になる可能性が高い。
心理的ダメージと犯罪者としてのスティグマを負わせ、二度と、小沢氏の秘書として、活動できないようにすることは、現行の刑事法体系では可能である。

日本の刑事法体系の異常性は、国家権力(Power)による、人権侵害を可能とする、懲罰絶対主義的文化にあると思う。まず、検察が警察を動かせる時点で異常であり、この二つは基本的に権力分散のため、別でなければならない。次が代用監獄である。仮に代用監獄を採用したとしても、48時間以内が国際的常識であり、更には弁護士をつけなければ監禁できないとすることが一般である。

先日の東奥日報に画家の奈良よしともさんのアメリカでの逮捕の記事が掲載されていた。日本では逮捕されただけで悪人扱いされる。一方で、アメリカでは裁判の結果が重要視される。このような日本文化は、他者にスティグマを負わせ安い。そして、裁判の結果より警察に捕まらないことが重視されるため、振込詐欺に引っかかりやすい。

私は、障害者権利条約国内履行に際して、刑事訴訟法の改正を行う必要があると考えている。条約13条には司法へのアクセスが規定され、司法機関での合理的配慮が求められる。17条の不可侵性の保護では、刑事責任能力を理由とした医療行為が否定され、25条では商品契約による医療、即ちインフォームドコンセントが位置づけられているため、同意のない医療はできない。そして、14条には、身体的拘束を許さない規定があり、代用監獄の問題を取り上げたい。

| 桐原尚之 | 2009/04/08 8:13 PM |
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こんな精神科医がいたら心療内科にかかる患者はいなくなるような気がします。それでも病んでいる世の中なのでこのようなブラック小説好きです。
| 本・月のうさぎ堂 | 2009/04/07 2:27 AM |